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顧問の練習日記です。

2007/4/13 (Fri) 大人への成長
 国民投票法案をめぐり成人年齢の引き下げが議論されている。高校生はまさに青年期の真っ盛りで、ドイツの心理学者レヴィンはこの時期をマージナルマン(境界人)と名づけた。大人でもあるが子どもでもある難しい時期だ。プレーにおいては、子どもの無邪気さは必要ない。大人の冷静さやタフさが要求される。
 マージナルマンだから甘えが許されるわけではない。むしろ、勝負の世界に身を置けば、甘えは命取りになる。厳しい世界に身を置くからこそ、自分を鍛え早く精神的に大人になることが要求される。多くの部員がいることは互いに切磋琢磨するチャンスにも恵まれる。どんなピンチも乗り越えられる大人にチームに成長していきたい。
2007/4/12 (Thu) 本性がでるなら本性を磨け
 木曜日の定例会議の日。自転車安全教育が放課後にあり、グランドについたのは5時40分を回っていた。下校時間の6時まではわずかな時間しか残されていなかった。今日から新入部員が2名活動に参加した。(2名は残念ながら別のクラブに移動した。)まさに右も左も分からない中で必死に練習していた。同学年の生徒は中学から苦楽をともにしている選手。気苦労はないかもしれない。心細さ、孤独感はいろんな場面であるだろう。暖かい声をかけてあげれば何と心強いことだろう。寛容性や積極性は必ずやプレーにも生きてくる。とくに、自分が追い込まれたときは、その人生で培ってきた本性がつい出てしまうものである。その本性が無意識に出るならば、その本性を磨けばよい。人間性も勝負への武器だ。
2007/4/11 (Wed) チームの結束力
 高2・3のクラブ登録と新高1の仮登録があった。滝中からの進学組みは折り込み済みだが、公立中学からの新入生で4名の仮入部登録がなされた。いよいよ50名を超える大クラブとなる。一人ひとりが自分の目的、存在意義を持ち過去の先輩がそうであったように、一生の思い出として残るようなクラブの時間を過ごしてほしい。それには日々真剣勝負しかない。
 練習の最後には、こうした大勢を舞台に変えて度胸を鍛えるトレーニングを実施している。自分を表現することで、かけがえのない自分を認識すると共に、夢や目標をチームで共有しようという目論見だ。
 チームワークは、今1つの大きな武器に変わろうとしている。
2007/4/10 (Tue) 自主性と畏敬の念
 宿題テストも終わり、少し長めの練習時間を確保することができた。明日からいよいよ新学年の授業が開始される。期待や不安に胸一杯なのは教師も生徒も同じだろう。
 総体予選までの時間も残り20日を切った。型の練習から攻防の駆け引き(勝負)の練習が多くなる。勝負の世界は、自分のアイデア、オリジナリティが要求される。指導者の枠を超え自分の力で自分のプレーを切り開いていく時期だ。
 自主性の尊重と放任主義は意味が違う。その見極めは長年のカンかもしれないが、自分なりのスタンダードで指導していくつもりだ。勝負の世界ではこわさを知ることも大切だ。指導者をこわがれという意味ではない。勝負のこわさのことだ。こわさを知るということは自分を知るということである。勝負に対して畏敬の念を抱けば自ずと、勝負の深みが分かり、自主性もついてくるのであろう。追い込まれプレーするのではなく、自らを追い込んでオリジナリティーを求めたい。
2007/4/9 (Mon) 大志を思い返す
 春の宿題テストが3学年で行われた。明日も続くため、今日も練習は休み。月曜日は思索にふけ、週のプランをたてる。
 「少年よ!大志を抱け」は、ご存知札幌農学校(現北海道大学)の創設に携わったクラーク博士の言葉。単なる志ではなく、大きな志を抱けと訳されている。大半の選手が高校からハンドボールをはじめたチームが「尾張優勝」「県ベスト4」という目標をかかげるのはまさに大志かもしれない。「われ十有五にして学に志す」は孔子の言葉。16歳に立てた大志をどう実現させていくかが、大切だ。目標を実現させる日が近づくにつれ、「達成できないのではないか」「下方修正すべきではないか」と不安な思いがわいてくるかもしれない。しかし、初志貫徹で周囲からの声を跳ね返し、自分を信じて戦うことが目標達成への道だろう。目標を達成した過去のチームも大勝の試合はほとんどなかった。紙一重の試合をものにしていきながら1つずつ目標に近づいていったのである。大志を思い返し、最後の最後まで粘れる精神力を持とう。
2007/4/9 (Mon) 咲き、誇る
 うららかな日曜日。テスト休みのため、生徒は勉強に勤しむ。先憂後楽という言葉がある。予選を勝ち抜いた先にある県大会は毎回、第1回定期考査の真っ最中か直後にあり、最後の最後の戦いで困難な調整を強いられている。特に3年生は受験生でもあり、定期考査も重みも増す。そうした中での大会であるならば、先に憂いを取り除き、後で楽(目標達成)をすべきではないか。今、必死に勉強することも練習の一環なのだ。
 外では桜が満開である。数年前のヒット曲、森山直太朗氏の「さくら」
 さくら さくら 今咲き誇る
 せつなに散りゆく運命(さだめ)と知って
 高校スポーツは、情のこもるなんともいえない独特の清清しさがある。全国優勝するチームを除いてほとんどすべてのチームが敗戦とともにユニホームを脱いでいく。
 咲き、そして自分を誇れるよう。
2007/4/7 (Sat) みんなも同じ
 チームの事情によって、属する選手の経験値や運動能力、技術の違いはあるが、こと精神面では、心を一定に保てる強靭なハートを持っている選手は以外に多くない。ほとんどの選手が、勝敗のプレッシャー、不安、葛藤を抱えながらプレーしている。
 かつて現役時代、厳しい練習で弱音を吐きそうになったこともあった。自分にはこんな練習に耐えられないと思った。その時の先輩は嘔吐したのち、再び練習に参加していた。苦しいのは自分だけではないのだと思ったとき、少し気持ちが楽になった。同じように厳しい練習に耐えているライバルチームを想像すると休んでいることができなくなった。
 プレッシャー、不安、葛藤はみんなが抱えているし、相手チームも抱えている。みんな同じなのだ。そこから抜け出すには、やはりこの言葉に行き着く。「仲間を信じ、己を信じること」。真剣勝負でシュートをはずしたくてはずすものはいない。そういう仲間の一生懸命さを認める。失敗しても、次は成功すると自分を信じる。
 投げ出すことは簡単だ。いつでもできる。戦い続けるところに道は開ける。
2007/4/6 (Fri) すべてが勝利のため
 始業式が行われた。よくもわるくも「ちゅうさん」と呼称されていた滝中創部組みも名実共に滝高校ハンドボール部の仲間入りをした。春休み中はしばし「休み」を与えたため、本日が久しぶりの三学年合同練習となった。
 平日練習で時間が取れる練習ができるのは本当に今日が最後。オールコートを使っての大勢の練習は活気が出る。この勢いを試合につなげたいものだ。少し時間が長くなると時折ふっと気が抜ける時間もある。いかにメリハリをつけるかが大所帯チームの大きな課題だろう。たとえば、プレーをとめて話をする場面、または一つのプレーが終わって互いに反省や助言をする場面、別の視点によっては緩慢に見えてしまうことがある。下級生では本当に無駄口をたたいている者ももしかしたらいるかもしれない。そんな時の明確な基準がある。それは、それがチームの勝利に貢献しているかどうかだ。そのコミュニケーションによってチーム力が増すのであればそれはよいコミュニケーション、反対に無駄口ではないにせよ、全体の士気を低めてしまうのであればわるいコミュニケーションといわざるを得ないであろう。
 すべてが勝利のために練習しているのである。
2007/4/5 (Thu) 貪欲な向上心
 午前中中学、午後高校の入学式。高校の職員であるため、午前中、第4グランドで練習を行った。ようやく本格的な春らしい天候となり、気持ちよく練習することができた。午後から入学式を控えた新入生も午前中“自主的”に練習に参加した。
 春の過酷な練習日程から、日常への練習へのシフトする時期。怪我や疲労度も考えて、戦術的な確認事項の練習メニューに時間を割いた。いわば、体より頭をはたかせる練習だ。社会の授業では、予習をして授業に臨むことが理想かもしれないが、普段は取り立てて予習を要求しているわけではない。ところが、数学や英語の授業はそうはいかない。予習をしてこないと授業効率は極端に落ちるし、何より自分自身の実力アップにつながらない。球技においては知識吸収型の社会科よりもむしろ英数型の勉強に似ているように思う。すなわち、予習して練習に臨むことが必要だ。勉強嫌いの生徒には「予習」と聞くだけでアレルギーや拒絶反応が出る生徒がいるかもしれない。要は、単に「うまくなりたい」と思い、どうすればうまくなれるかを考えることだ。
 150キロの剛速球も芯に当たればホームランを打たれる。へなちょこカーブでもバッターは打ち取れる。スピードコンテストに出るなら別だが、勝負にでるのである。貪欲な向上心をもって、練習に臨もう。
2007/4/4 (Wed) 恨めしい雨、恵みの雨?
 在校生出校日で、在校生が登校。新クラスの発表など慌しく午前中の行事が過ぎていく。午後から、久しぶりに新高1の練習参加もあり勢い勇んで第4グランドにいくとピンポイントで狙い済ましたかのような暴風雨が吹き荒れた。30分様子を見たが雨はやまず、遠いところこの練習のために登校した新1年生には申し訳ないが、グランドに雨が浮き出てきたため、練習を中止した。高校生はその後学校に戻りミーティングを行ったが、怪我ではないが体の痛みを訴えてくる選手もおり、いい休養日になったと前向きに考えることとした。ミーティングでは客観的に自分を見つめることを課題にしたが、こういう時間も学校で始まってしまうとなかなか取れない。いい時間の使い方ができたと思おうではないか。
 明日は新1年生の入学式。ハレの日に練習してもよいのだが、明日は新1年生は練習を休みとした。滝高校でハンドボールを続けていくためには、人並み以上に勉強もそしてもちろんハンドボールも頑張らねばならない。特に勉強面での決意を固める節目にしてほしい。
2007/4/3 (Tue) 原点を見直す
 長い戦いの中で、よい習慣だけが身についてくれればよいのだが残念ながら悪習も同時に身に付けてしまうこともある。ミスチルの歌にある「様々な角度から物事をみていたら自分をみうしなってた」といったところか。そんな時は「原点」に回帰することで、見失ったものを再確認することができる。滝の今の現状だ。この春に多くの経験を積んできた。100%満足とはいえないかもしれないが、ベストは尽くしたと思う。
 明日から日常での練習が始まる。原点にたちかえって、第4グランドから再スタートしよう。
2007/4/2 (Mon) 新鮮な気持ちで
 全国多くの企業や官公庁で入社式があった。フレッシュな気持ちで新生活をスタートさせたことだろう。滝学園も今日から平成19年度の始まり。慌しく新年度の準備がスタートした。選手にとっては、リフレッシュできる休暇となったであろうか。
 休日の練習も明日1日。明後日からは、いよいよ日常の中での練習が始まる。今年の尾張地区は他の地区よりも1週遅い28日から開幕予定。この1週間が長いと感じるのか短いと感じるのかは、普段の時間の使い方にかかってくるであろう。最後の休日も1本の試合、1本のシュート、1本のプレーを大切に使おう。
2007/4/1 (Sun) こころが大人なら
子どもに言う
  草野天平
子どもよ
ここへお座り
お前はさっき石をもって喧嘩をしていたね
そういうことではいけない
石をお捨て
人は少しでも自分と違う力を借りてはいけない
いつかも一緒に歩いている時
お父さんがいるんだぞといっていたことがあった
自分はああいう時
本当はお前のそばにいないのだ
あの子がお前より強ければ
強いように打てばいいと思うし
お前が強ければ強いように
やはり普通に打てばいいと思う
勝つのもいい
負けるのも又いい
勝っても威張れないし
負けても威張れないものだ
いいか
わかったか

 新聞掲載の詩。「子どもは勉強しないもの」という前提でそれを机に向かわせるのが教師の務めだとある先生から聞いた。また「頭が大人にならないと受験は成功しない」と本校の先生から聞いた。
 勉強も部活動も、ひいてはハンドボールという競技もそれほど大差はない。心が大人になれば、戦いは勝利に向かっていく。もちろん、運動能力や技術、経験などもあるだろう。しかし、実際にコートで物事を考え判断しプレーするのは選手なのだから。今、残り1ヶ月を切って、まさにこの心境だ。伝えられるものすべてを伝えたい。大人のこころで、自分の力で勝利を目指していこう。
2007/3/31 (Sat) 報恩感謝
 本校の教育目標の1つに報恩感謝がある。報恩とはその字の通り、恩に報いることである。
 3月も今日で終わり、いよいよ明日から平成19年度のスタート。学年もそれぞれ新高3、高2、高1となるのだろうが、その呼称の変更も意識する節目もなく、練習してきたように思う。ハンド部創部以来自分の1年も総体で区切りとしているので、今はまだ節目という感覚はない。練習会場へ向かう道には桜が咲き始めた。場所によっては同じ江南市内でもつぼみもあれば八分咲きのところもあるようだ。
 チームも仕上がりが早いチームもあれば、じっくり予選(または県大会)にあわせてチームを仕上げてくるところもあるだろう。我がチームは今、何分咲きなのだろうか。
 その花を咲かせるために、この春も本当に多くの方に多大なる力を貸していただいた。言葉で書くと何と表現してよいか分からないが本当に感謝している。ふと頭をよぎったのは、我が学園の「報恩感謝」であった。その感謝の気持ち、恩に報いなければならない。
 明日から新年度がスタートする。報恩感謝を胸に新しい小さな一歩を踏み出そう。
2007/3/30 (Fri) 幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない
 幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない。新聞連載中の「風立ちぬ」堀辰雄の言葉がなぜか心にとまった。過去の思い出にとらわれていると新しい幸福が訪れないという意味か。幸福はもちろん人それぞれで大きな幸福もあれば小さな幸福もあるだろう。試合で言えば大きな大会で結果を残すことも小さな1つのプレーの成功も幸福かもしれない。
 過去にとらわれず、前に進むことが今は必要だろう。未来のためにすべき課題が日々ある。挑戦だ。勝利はうれしい。しかし、たまたまの勝利では次ぎ勝てる保証はどこにもない。目標に向かって、今、やることを1つずつ挑戦していこう。
2007/3/29 (Thu) 安定力
 練習の中で少しずつ結果も出せるようになってきた。しかし、まだまだ先は長い。道中にはつらい上り坂もあれば、少し楽な下り坂もあるだろう。下り坂で気を緩めると思わぬところで躓くことがあるかもしれない。
 安定した試合運びをすること。選抜大会のスコアだけみてもその難しさが分かる。地力がないとできないことだ。今はその地力をつけるときだ。ここからまだ過酷な時が続くだろう。さあ、明日もがんばろう。
2007/3/28 (Wed) 現状認識、そして粘り強く
 春休みの練習も後半戦がスタート。尾張支部はちょうど1ヵ月後にインターハイ予選を迎える。様々なチームとの対戦で残り1ヶ月を残してのチームの状況を確認する。今、大会が実施されたら目標到達できるか?自問自答してみると残念ながら、まだ足りないものがある。速攻チャンス→ミスして相手ボール→失点のパターンから悪い流れが生じる。1つのパターンだが、それこそがチームの現状を象徴している。そのミスを誘発しているものを考えると、試合勘、経験値が足りないことに気づく。あと1ヶ月しかないからと思うかまだ1ヶ月あると考えるか。滝のハンドボールの伝統として粘りがあるように思う。この1ヶ月間にできる限りの経験を積もうではないか。よい経験もあれば思うようにいかない時もあるだろう。あきらめるのは簡単でいつでもできる。とにかく、粘れ粘れ。
2007/3/27 (Tue) 卒業生とOB戦
 午前中、特別(呼び出し)授業に参加する新高1生がいたのは残念だが、この春卒業したOBと高2、高1、中3と4学年60名近くの部員が所狭しとグランドを駆け回った。OBを含め8チームの編成でリーグ戦・トーナメント戦を実施、決勝は筋書き通り現役Aチーム対OBになる予定であったが、思わぬ苦戦ありで、真剣みあふれるOB戦ができたのではないか。
 春の選抜のスコアを見ると、全国予選を勝ち抜いたチームでも大差の勝敗がある。勝敗の「流れ」をうまくつかんだチームが勝利を手中に収めている証であろう。試合の流れをつかむにもトレーニングが必要だ。「修羅場」のような試合を何試合経験するか、にポイントがある。
 愛知県代表チーム男子は、全国ベスト8に進出した。強豪ひしめく愛知県でハンドボールができることに感謝し、県大会では臆することなく当初の目標に向かって邁進しよう。その前に戦う場所がある。尾張の栄冠を勝ち取る日はすぐそこまで来ている。
2007/3/26 (Mon) 「共同体」から「連合」へ
 春休み特別授業の最終日。一時の寒の戻りも終わり、再び春らしい天気が訪れた。午後からは、久しぶりにホームグランドで3学年揃っての練習を行うことが出来た。
 自分の教科(現代社会)の話で恐縮だが、新聞記事に今年EU(ヨーロッパ連合)の誕生から50周年というものが特集されている。前身のEEC(ヨーロッパ経済共同体)創設のローマ条約締結が1957年で今年がその50年目にあたる。統合の広がり・深化は功罪あるようだが、緩やかな「共同体」から紐帯の強い「連合」への発展は、まさに今滝高校ハンドボール部に問われていることではないか、と関心をよせた。
 緩やかな仲良し集団から戦う連合への脱皮の時だ。そして、将来や未来も何年先までも共に仲間でいられるような強い紐帯を築いていきたい。
 すべてをなげうち包み隠さず自分を出せる組織へと変革していこう。最高のチームワークを誇れるチームに。
2007/3/25 (Sun) さらさらと
 春休み中の日曜日であるが、滝学園は今日も朝から特別授業。昨日からの雨もあり、練習は一日休みとした。今日から中高とも春の全国大会が始まった。総体にむけて他校では今日も練習に励むチームもあり、あせりがないといえばうそになる。しかし、毎年この時期ごろからけがも起こりやすくなる時期であり、休むのも練習のうちと考えている。
 「あせり」もそうだが、しかられたりすると人間はストレスを感じる。最近の風潮としてはしかられなれていない子どもが増えているとも聞く。こうしたストレスの蓄積は自律神経の交感神経を働かせ、いらいら、不眠、頭痛、便秘、下痢といった消化器系の症状がでることもあるという。指導者やチームメイトからの「怒り」も自分を思っての助言と受け止めれば、ストレスも溜め込まなくなる。プラス思考がよいとされるのはこのためでもある。
 大きな仕事をなすためにはやはり健康でなければならない。規則正しい生活をさらさらと送りたい。大事な大会や受験でもベストなコンディションで臨むことも練習と同じぐらい大切なことだ。
2007/3/24 (Sat) 怒れ!
 スポーツにおいて心は熱くなれ、頭は冷静たれと指導することはある。腹を立てろ、怒れ!とは何事かと思われるかもしれない。
 旧西ドイツの首相アデナウアーは、3つのことをいったという。第1は、「人生というものは70歳にしてはじめて分かるものである。だから70歳にならないうちは人生について語る資格がない」ということ、第2は、「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ、そして3番目に「怒りをもつこと」だそうだ。
 もちろん、ここでいう怒りとは個人的な感情での怒りではない。もっと高所にたった公憤のことである。仲間を思うなら、時には鬼にもならねばならないときがある。真の友情とはそうしたなかで培われるのではないだろうか。
2007/3/23 (Fri) 「限界状況」を超える
 敗戦は苦しい。ミスやエラーで頭を抱える。思い通りのゲームプランが伝わらない。監督やコーチ業はおそらく我慢することが仕事だろう。選手には「前向きに考えよう」というならば、自分にも問う言葉だ。
 漫画の話で恐縮だが、ドラゴンボールでは、サイヤ人は戦闘で受けた深いダメージから回復するとさらに戦闘力が大幅に増強する場面がでてくる。ドイツの哲学者ヤスパースも同様に人間も「限界状況」を認識するとそこに主体的な実存が誕生すると説いた。
 選手もベンチもいろいろな苦しみや悩みを乗り越えて強くなるのだ。戦闘力を増強させるチャンス到来。
 
2007/3/22 (Thu) 凡夫の自覚
 この春休みは多くのチームと対戦する機会に恵まれる。練習試合だが、その結果には先が見えてきてしまうだけに一喜一憂してしまうこともある。負けが込むと「へこむ(落胆する)」こともある。
 少し視点を変えてみると、勝負は表と裏の関係なので、わがチームが勝っているときは相手のチームは負けており、当然、わがチームが勝っているときは負けている。成功体験による自信の積み重ねも大切だが、時には強く打たれることによって強靭となる鋼(はがね)もある。

聖徳太子の十七条の憲法に次の条文がある。

「心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡夫(凡人)なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。」

チームが顧問の鏡であるならば、また逆に顧問がチームの鏡であるならば、互いに凡夫の自覚を持たねばならない。お互いおろかな人間だからこそ、精進できるのだ。
2007/3/21 (Wed) 休眠打破
 毎年恒例の愛知県協会主催普及強化練習会に参加した。他地区の強豪チームとも対戦する機会に恵まれ、今後の見通しを立てるという点で大変有意義な1日となった。
 桜前線の到来が報道されているが、桜は一定期間の寒さにさらされることで「休眠打破」し、開花するという。辛い経験も最後に美しい花を咲かす糧になろう。
 特に、シュートフォームや2対1,3対2などの基礎の徹底は今後のポイントになるであろう。原点回帰が勝利への道のようだ。
2007/3/20 (Tue) 具体的に、考える
 今年卒業のOBが久しぶりに参加してくれた終業式後の練習。受験勉強のブランクはあるものの切れのある動きで後輩たちをリードした。平均身長では数センチ現役に下回る7代目のOBは、自然に「考える」ことでそのハンディを乗り越えようとしたのだろう。後輩への助言では「考えてプレーしよう」という言葉が仕切りと出た。
 漠然としている「考える」という言葉だが、それは局面を考えるという意味でもあるし、理論を考えるという意味でもあるし、練習の意図を考えるという意味でもある。漠然と「勝ちたい」と考えるだけでなく、その方策を「具体的に」「考える」ことが大切だと伝えたかったのだと思う。
2007/3/19 (Mon) 燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや
 世界史選択者にはおなじみの言葉。秦の始皇帝亡き後、秦の圧制に対して真っ先に反乱を起した陳勝が若い頃、「どんなに偉くなっても、仲間のことは忘れないようにしよう。」と。それを聞いた男が雇われ農夫のくせに偉そうな口を叩くな、とせせら笑ったところ、陳勝は「燕や雀に、鴻鵠(色白く鶴に似た大きな鳥)の考えていることがわかってたまるか」というのである。
 今日は中学の卒業式が行われた。卒業式といっても、中高一貫校であるわが学園では明日から出校し次年度の準備が始められる。本日も式後、グランドで練習を行った。式の日ぐらいと思われるかもしれない。しかし、われわれは「鴻鵠」であるという自覚を持ちたい。まだ見ぬ「全国」という舞台を大きな翼で優雅に飛ぶ鴻鵠である。
2007/3/18 (Sun) 人は山に躓(つまず)かずして蟻塚(ありづか)に躓く
人は山に躓(つまず)かずして蟻塚(ありづか)に躓く。

最後の戦いはトーナメント戦の「デスマッチ」。負けたらユニホームを脱がなければならない戦いを強いられる。ものの考え方は千差万別だが、桜を愛でる日本人の心情のように、一戦必勝の「結果主義」も潔さがある。その試合に照準を絞り、怪我をしないように病気をしないように日々の生活を律することは、生きるうえでは意味のあることだ。

負けてはならないことは十分理解しているが、人は時に蟻塚につまづくものだ。蟻塚とは、自分の心の中に生じる、慢心や気の緩みのことだろう。平常心と慢心はまるで違うものだ。
2007/3/17 (Sat) ベストを超える
 日々の練習が続く。選手のみんなは本当に一生懸命やっている。しかし、厳しいようだが一生懸命やれば勝てるほど現実は甘くない。勝負の流れの中でここを抑えれば勝利が近づくという「ツボ」のようなものがある。幾多の経験を経ればおのずと見えてくるものだ。柔よく剛を制すというが、力任せの若いチームを老獪なテクニックでいなすご年配のクラブチームもあるのはそのためだ。
 一生懸命やるなとはいっていない。むしろ一生懸命やらなければ勝つ見込みはない。しかし、その先にあるものを常に追求しようではないか。神の領域なのかいわゆる「ゾーン」という領域か、勝利のツボを得るためには、ベストを超える惜しまない努力が必要だろう。
2007/3/16 (Fri) 絶対に負けられない相手
 春休みの練習が続く。普段机の上で生活している時間に体を動かしているわけで疲労の蓄積もあって当然である。これまでトップアスリートの著書を数札読んできたが、頂点に立つ選手のほとんどは、怪我、精神的悩み、葛藤様々なものを抱えての戦いを強いられている。天才と呼ばれるイチローが嘔吐するようプレッシャーのなかでプレーしていることを例に出すまでもなく強靭な精神力でそれを乗り越えている。
 月並みの言葉かも知れないが、あえて今問いたい。絶対に負けてはいけないのは誰か?それは、対戦相手でもない。チームメイトでもない。過酷な練習を課す顧問でもない。親でも教師でもない。自分自身なのだ。その戦うべき相手が見えてきたということはチームにとって自分にとってチャンスなのかもしれない。
2007/3/15 (Thu) 接戦を制するには
 バスケットボール女子のWリーグのプレーオフでJOMO(レギュラーリーグ2位)が富士通(レギュラーリーグ1位)を、後のない2連敗から驚異的な粘りで3連勝し、3季ぶり11度目の優勝を果たした。数年前まではシャンソン化粧品と「2強時代」を演出してきたがここ数年は若手への切り替え時期で低迷していたチームだそうだ。力が互角または相手が格上の場合に接戦を制するには何が必要であろうか?優勝した内海監督は「最後まで勝ってやろうという気持ちでたたかった」と目を潤ませた。MVPの大神主将は「力を出し切ろう」と仲間を励ました。負けた富士通の矢野良選手は「プレーうんぬんより、強く勝ちたいという気持ちがなかった」と唇をかみしめた。(以上、中日新聞より抜粋)
 バスケットの技術面は当然分からない。しかし、トップ選手でも勝敗を分けたのは最後の最後は「執念」なのではないか。その執念もチームに浸透させチーム全員が共有すれば「執念力」が生まれるような気がしてならない。
 松坂屋、大丸百貨店大手の合併で新会長に就任する奥田会長は統合後の課題を「スピード、決めたことの徹底、コミュニケーションの3つ」と言い切る。どこの組織でも当てはまる普遍的なことだ。
 チーム全体が1つとなり、勝利への執念をめらめら燃やそう。
2007/3/14 (Wed) 已(や)むべからざるに於(お)いて
 昨日に引き続き高校生は午前中の行事のあとの練習。3学年そろっての練習ができた。一人一人の力は大きいが、結集すればその何倍の勢いとなる。チームの勝利に貢献する力なら大歓迎だが、負の力の結集は遠慮願いたい。
孟子の言葉、已むべからざるに於いて已むる者は、已まざる所なし。50分間の試合の中では、「ここが勝負どころ」という山場が必ずある。そこで、集中力を発揮できるかどうかで勝負の行方は左右される。同じことは人生においてもいえるのではないか。試合と同じように、ここ一番の正念場で集中力を発揮できる人、正念場にも集中できず中途半端に勝負をやめてしまう人。残酷なほどに明暗を分けるだろう。現チームの総決算の勝負どころの練習時期は「今」なのだ。4月になれば、学校も始まりあっという間に大会をむかえてしまう。しっかり勝負どころを見極めて練習に集中しよう。
2007/3/13 (Tue) 学びて思わざれば・・・
 高校生はテスト後土日をはさみ4日ぶりの登校。答案返しや教科書販売、いよいよ新学期の準備も本格的に始まった。午前中で一通り行事を終え午後から3学年が肌寒さの残る3月の空の下、グランドで練習を行った。
レギュラークラスの選手でも形の理解はできているが、形にこだわりすぎ、個の技術が発揮できない選手もいる。一方で、自由はつらつとしたプレーで天真爛漫にグランドを駆け回る中3生もいるが、形を理解していないため、和を乱すことがある。はたして個か組織か、どちらが大切なのであろうか。『論語』に「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし」がある。どんなに勉強しても自分の頭で考えない限り、生きた知恵とはならない。しかし、思索のみにふけって先人の業績に学ばない者は独善に陥るのだという。学ぶ=組織(形)、思う=個人と当てはめれば、ハンドボールにも当てはまる。形式だけにとらわれてもいけない。独りよがりのプレーも許容されない。チームの仕組みの中で自分の最大限の力を発揮することが真の意味のチームプレーではないだろうか。
2007/3/12 (Mon) 純粋さも強さに
今日は第5回定期考査後の採点日なるもののため高校の生徒は1日休み。これまで春は「天王山」と位置づけ休み返上でがむしゃらに練習してきたが、休む勇気を持って、1日休みをとった。中3は卒業式の都合で午前中登校してきたため、午後から中3のみの練習を行った。高2から中3までの3学年で共通の課題を反復練習。土曜日の後輩との試合ではいい形でそれが活かされていたため、今日も継続して行う。最後にはミニゲームを実施。紅白戦といえども熱い戦いが繰り広げられるのは頼もしい。数ヶ月前にキーパーに転向した選手は、早くも頭角を現しファインセーブを連発。チーム内の競争がさらに激しくなるのは望ましいことだ。熱さが増して、悔しさからか目に涙をためるような表情をみせる選手も現れた。自分で自分が悔しいという。純粋さは非常に素晴らしい美徳だ。それをうまく活かして強さを身に付けることが肝要だろう。強くする手助けのためなら努力を惜しまない。

涙の数だけ強くなれるよ
    アスファルトに咲く花のように
  見るものすべてに怯(オビ)えないで
    あしたは来るよ君のために
2007/3/11 (Sun) あれかこれか
 この春休みをどうすごすかがインターハイ予選の結果を左右する。その結果が自分の生涯の勲章となるならば、まさに全身全霊で立ち向かうのにふさわしい価値があるものだ。この春休みは自分の最高の結果を出せるよう目標に向かって歩んでいくものだろう。しかしながら、高校生には多くの誘惑もあり、また自我の確立の時期でもあり自分をコントロールするのも難しい時である。「あれもこれも」やりたいときなのだ。デンマークの哲学者キルケゴールは、様々な選択肢から自分の歩むべきものを選択することで一段高次の段階にいたると説く。国語、数学、理科、社会、英語の“勉強”から法学部や経済学部、工学部、理学部などの“学問”を選ぶ。銀行員、研究職、建築士、教師、公務員などの職業を選ぶ。いろいろ出会う男性や女性の中から将来の伴侶を決めていく。人生はそうやって自分で「あれかこれか」を選択しながら自分を形作っていくということであろう。そして自分で選択したものには義務が伴う。ここでいう義務とは使命感とか責任感というものだろう。(『倫理』の教科書ではこの段階を「倫理的実存」と説明している。)
 今、君たちは、数ある高校の中で滝高校を選び、数ある部活動の中でハンドボール部を選んだ。目標の設定は自由だが、尾張優勝、そして県ベスト4という目標を選んだ。自分で選んだ道だ。使命感を持って日々をすごそう。
2007/3/10 (Sat) 井戸に落ちそうな子を前にして
 孟母三遷の教えで有名な孟子は、人間の本性は善であると説く。そのたとえとして、井戸に落ちそうな子を前にして、人間のとる行動をあげている。性善説、性悪説の論議はさておき、教師やチームメイトは、今まさに井戸に落ちようとしているチームメイトを絶対に見過ごしてはならない。ハンドボールやスポーツにおいては、「井戸に落ちる」というのは、「負け犬になる。」ということだ。勝敗を大切にしない人間は、チームを大切にしない。チームを大切にしない人間は、自分を大切にしない。つまり負け犬は自分を大切にしないのだ。そんな生徒や仲間をみたら、どんな手段を使ってでも井戸に落ちないようにするのが教師やチームメイトの役目だと思っている。体罰は容認されるものではないが、時には命をはって守らなければないないものだと思っている。
 ルーズボールを追わない。すぐに勝負を投げ出す。遅刻などチームの秩序を乱す。断じて許される行為ではない。一生懸命の結果としてのミスは許されるが、負け犬根性は絶対に排除しなければならない。
 女子の練習試合で悔し涙を流した選手がいた。その涙は次につながるだろう。
2007/3/9 (Fri) 克己復礼
 答案返し、中学卒業式などの行事はあるものの平成18年度の行事はほとんど終了し、事実上の春休みに突入した。その初日、好天に恵まれた中で練習を行うことができた。
 プロ野球の投手では、オフシーズンにどれだけ走りこんだかでその年の成績が決まるともいわれる。投球フォームと走りこみは無関係のようだが、粘り強い足腰が球速に重みを与えるのであろう。ハンドボールでのそれは、限られたスペースのなかでどれだけ反復して連続して攻撃もしくは防御できるかだと思う。“企業秘密”ではないのだが、滝高ハンド部では「フットワークトレーニング」をめったに行わない。ベテランの指導者からはお叱りを受けるかもしれないが、選手のみんなは何がその代替をしているかはピンとくるであろう。常に実戦に近い形の中で「走りこみ=下半身強化」を心がけてもらいたい。
 新入部員に遅刻者などがでた。『論語』に「克己復礼」という言葉がある。己に克つとは、自分に厳しく、自分に命令できる自分をつくるということだ。礼とは、礼儀だけでなく、慣習、道徳、社会規範、ルール、そしてチームメイトへの思いやりも含んでいる。6代目にもらった「仲間を信じ、己を信じ」という言葉は、まさにこの言葉を言い換えたものだと思う。
 花よりも花を咲かせる土になれ。松井を育てた山下先生の言葉。
2007/3/8 (Thu) 歩む
 高校生も第5回定期考査が終了し今日から3学年そろっての練習を再開した。目標の共有も確認済みだ。この先、多くの経験を試合前に積むことになるが、一喜一憂することなく、チームのペースで進んでいくことを心がけたい。
 君たちの前には先輩たちが切り開いてくれた道がある。そこを通りさえすれば、ある程度先まで進むことができた。しかし、夏の大会、新人戦、ウインターカップすべてのカップを逃した今、自分の力で道を切り開いていくしかあるまい。これは顧問である私にとっても、君たちにとっても絶好のチャンスだととらえている。
 これから手を取り合って、道を切り開いていく君たちにアントニオ猪木選手の詩を送ろう。

この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし

踏み出せば その一足が道となり

その一足が道となる

迷わず行けよ 行けばわかるさ
2007/3/7 (Wed) コートが一番
 高校1・2年生の定期考査を尻目に一足早く中学3年生の定期考査が終了した。公立の中学は今日が卒業式のところが多いと聞く。こうした中で練習できるアドバンテージを有効に活かしたい。体育館も半面開いていたため、そこで練習を実施した。
 練習の途中で「実るほど頭をたれる稲穂かな」という諺を引用し、礼儀や態度面だけでなくプレーでそれを活かそうと諭した。中学3年間、ハンドボールを経験してきたことはもちろん武器になる。しかし、だからといって基礎をおろそかにすれば、初心者ながらひたむきに頑張るチームに足元をすくわれるであろう。実力がつけばつくほどその奥深さに気づくものである。そして、自分の弱さを知り謙虚な態度が自然とにじみ出るようになったとき真の強さを身に付けることができるのだ。
 あれこれ考えるのも大切。そして、なんといってもやってみることが大切。コートの中が何よりも一番だ。
2007/3/6 (Tue) 一歩
 第5回定期考査3日目が過ぎた。ようやく折り返し。長く感じるか短く感じるかは一人一人の思いだろう。試験が終わったあとは、答案用紙との格闘が何時間も続く。約4万個の○をつけるのも最初の1つからはじまる。マラソンのようだが、42.195キロも100m走も最初の一歩がなければゴールには到達しない。とある本で「第一歩」という詩に出会った。

三笠山に登る第一歩
富士山に登る第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
どこまで登るつもりか
目標が
その日その日を支配する

選手の目指すものは、進学にせよ、ハンドボールにせよ、三笠山かそれとも富士山か?

もちろん富士山である。であるならばそれなりの装備が必要だ。同じ一日、同じ一歩でも準備をして取り掛かろう。

明日から中3が一足先にテスト週間があける。富士山の次はエベレストだ。
2007/3/5 (Mon) 本を読もう
 週があけて定期テストが再開された、今日は2日目だ。高校2年生では現代社会のテストも行われ、試験中の選手の表情をみる。答案用紙は、メッセージ。採点業務の清涼剤になってくれることを望んで約340枚の答案用紙と格闘を始めた。先は長くなりそうである。
 朝の読書の時間には、松井選手を育てた石川・星稜高校監督の「心が変われば」(松下茂典著 朝日新聞社)を読み始めた。まだ冒頭部分しか読んでいないが、松井選手もそして山下監督も「本の虫」であった。知識の広がりもあるが、本を読む集中力と打席の集中力は同じだと持論があるようだ。自分を振り返ってみると、まだまだ読んでいない本ばかりで恥ずかしくなった。しかし、それは、これから読める本がたくさんあることだと考えてみた。「心が変われば・・・」である。
 数年前、金八先生でも紹介されていた読書にまつわる詩。人生をかけてたくさんの本を読んでいきたい。

世界は一冊の本
    長田弘

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。

ウルムチ、メッシナ、トンデブクトゥ、
地図の上の一点でしかない
遥かな国々の遥かな街々も、本だ。

そこに住む人々の本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

草原、クモ、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。

200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができるということだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

 
2007/3/4 (Sun) 20年越しの授業
 汗ばむ陽気に包まれた日曜日。勉強に勤しむ生徒には申し訳ないが、今日は大学時代、4年間苦楽をともにした同期の結婚式に臨席した。同期や後輩も多くは結婚し、家族を築いている。式にも多く参加させていただいたが、ご両親への感謝の気持ちの場面はいつも感動を覚える。大人になってもなかなか本心を表すことができないのだが、偽りなく素直に心をさらけ出すところに心を打たれるのであろう。生意気盛りの今の高校生もやがてはそういうときが訪れるのであろう。
 クライマックスを新婦が両親への感謝の気持ちを表す場面にするのが定番だが、今日は一味違っていた。新郎の小学時代の先生がビデオレターで登場した。当時新米だった女性の先生に対し、先生が困るようなことをしていた新郎が何とかあのときのお詫びをしたいということで、新婦が調べに調べて居所を突き止め、メッセージを残してもらったという。ビデオレターを見て、流した新郎の涙が会場の心を突き動かした気がした。新婦の手紙も素晴らしく心に残る結婚式であった。
 教育にはいろいろなものさしがある。即効性が求めら得るものもあれば、なかなか結果(効果)が出るには時間がかかるものもある。その先生は20年かかって立派な授業をなされた。授業とは心を伝えるものなのだろう。
 
2007/3/3 (Sat) 不動心
先日の卒業式の祝辞で心に残る1つの詩を聞いた。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

ヤンキースの松井秀喜選手の母校星稜高校の1塁側ベンチに書かれている山下智茂監督の座右の銘だ。その山下監督に育まれた松井選手の「不動心」(新潮新書)を読んだ。甲子園で5打席連続敬遠されたときも、大リーグ移籍の葛藤の中でも、昨年の選手生命を脅かす怪我のときにも、とにかく前向きにものごとを考えている。ゆるぎない不動心だ。指導者の立場より、選手の立場で書かれている書物のため、ぜひ選手に読んでほしいお勧めの1冊。心を動かさないというタイトルだが、自身の夢は人の心を動かす(感動させる)こと。我が部員も一人一人が観衆を感動させられるプレーヤーになることを願ってやまない。
2007/3/2 (Fri) スポーツも社会学
 中日新聞夕刊の「あの人に迫る」という記事に日本尊厳死協会理事長の井形明弘氏のインタビューが掲載されていた。数年前に日本で上映された映画「半落ち」では、痴呆症の妻を“安楽死”させた元刑事の心の中が取り上げられたが、「魂が消えれば命も消える」というセリフが印象に残っている。井形氏の記事の冒頭にも「日本の平均寿命は世界一ですが、健康寿命と平均寿命とでは数年のギャップがあります。」と「魂(=健康寿命)」と「命(=平均寿命)」を分けて考えられている。記事は「医学は社会学だと思っています。患者の幸せを保障する学問であることを離れて、単なる技術だという教育が多いんですよ。医師は絶えず原点に戻って考えることが大切です。技術屋になってはいけません。日本の平気寿命が伸びたのは医学の進歩の成果であって、それを否定することはまったくありません。ただ、技術だけ先走ると、患者さんに苦痛を強制していることに気づかなくなってしまいます。」と伝えている。
 魂や心を無視した「結果主義」や「勝てば官軍」は、どの世界でも通用しないのであろう。一流大学を出ても将来の展望が持てず、職業に就くことさえできない者も多いと聞く。
 スポーツは社会を学ぶ場でもある。「敗者の弁」といわれぬためにも魂や命をかけ、勝利に向かって努力するところに戦いの意味があるのだろう。
2007/3/1 (Thu) ゴールはスタート
 第7代目の卒業式があった。式では、選手たちの姿が走馬灯のように駆け巡っていた。何年経っても、教師という職業をしている以上、出会いがあってそして別れがある。毎年毎年繰り返される卒業式も1年1年がかけがえのないものとして、新鮮に感じられるのは、ともに汗や涙を流した選手のおかげであろう。感謝の気持ちでいっぱいだ。
 創部5代目にして新人戦ではじめて尾張で優勝した。その時は優勝の喜びでいっぱいであったが、春の総体までは気が休まる時がないほど悩み苦しんだ。6代目も新人戦、総体と尾張のカップをとっての第7代目。秋の新人戦では前半13-3と大量リードでそのまま、優勝カップを手にした。そこからの試合は思うような結果が残せないことが続いた。
 優勝はゴールではない。あくまでも新しいスタート。大好きな人と結ばれたとしても、結婚生活はその後何倍もの時間を過ごす。大学も合格して遊びほうけていれば何も残らない。
 ハンドボールを通して得た経験は何事にも変え難い貴いものだ。引退の日に語った宿命を次の人生のステージで活かしてほしい。
 12名のすばらしい選手に囲まれて本当に幸せな教員生活を送らせていただいた。恩返しは、君たちの後輩へ君たち同様に与えた命の限りの愛情を注ぐことだと思っている。
 卒業し制服を脱げば、新しいスタートラインにたてる。新しい一歩を踏み出そう。

最後に保護者の皆様、この場をお借りしてお礼の言葉を述べさせていただきたい。
ご卒業おめでとうございます。
ふつつかな顧問に最後までお付き合いいただきありがとうございました。卒業生とは一生の付き合いをさせていただくつもりで3年間接してきました。多方面で暖かいご支援本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。 
2007/2/28 (Wed) タイム アンド タイミング イズ マネー
 2月も今日で終わる。明日は高校3年生の卒業式だ。3月2日より第5回定期考査が始まるため、今日で1年間の授業の締めくくりとなった。この1年でどれほどの知識を得ることができたであろうか。長い人生においては、学校で学ぶ古典や歴史や買い物では使わないような難しい数学も必ずや滋養となって成長を助けてくれるものと信じている。
 卒業生にとっては国公立試験の前期の発表や後期試験も残っており、まだまだ受験が終わったわけではないし、在校生にいたっては間近に迫った定期テストがある。明日1日の卒業式は、気持ちを引き締めて在校生も卒業生も厳かに式をあげてもらいたい。その気持ちのメリハリ、切り替えが、卒業生にとっても在校生にとっても清清しい式典になるのではないか。タイムイズマネーである。
 受験勉強もそうであるが、ハンドボールに置き換えて自ら進んでする主体的な練習も、今、はじめようと思ったときにはじめるのが一番だ。NHK「その時歴史は動いた」で最強のNO2といわれた黒田如水の言葉が印象深い。「戦いは、考えすぎては勝機を逸する。たとえ、草履と下駄とをちぐはぐに履いてでも、すぐに駆け出すほどの決断。それが大切だ」
タイミングもまた金なりである。
2007/2/27 (Tue) 自分が主体的な仕事(勉強)
 組織の中で生きる以上、やらねばならぬことはたくさんある。教師も生徒も同じであろう。現代社会はストレス社会とも言われるが、やらされる仕事(勉強)ほどストレスをためるものはない。では、どうすればストレスをためないで生きることができるだろうか。それは、“やらされている”と意識をもたず、自分で主体的にやることである。宿題だからやらされるのではなく、自分の夢(進路)を切り開くために勉強する。上司に言われたから仕事をするのではなく、自らのスキルアップのために仕事する。1週間でやれといわれたことを3日で仕上げる、という意気込みで仕事する。年齢や立場は関係ないであろう。ともに主体的に行動していこう。お互い勝負だ。
2007/2/26 (Mon) 心にゆとりを
 テスト期間に入り、部活動は休止中だが、日常の習慣で月曜日は、気分転換を兼ねて読書をしたり、映画(DVD)を見たりして活力を蓄えるよう心がけている。選手と同様にテスト週間は勉強ならぬ試験の作成などやらねばならぬことは多いのだが、今日も少し自分の時間をとった。
 本屋では、「千の風になって」なる詩集が大量につまれていた。昨年末の紅白で出演してからベストセラーになっているらしいし、歌のほうもオリコンチャートベスト5に入るほど売れているそうだ。少し詩を読んでみる。

「千の風になって」
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
(以下略)(「千の風になって」より)

がんで夫と幼い子3人を残してこの世を去った女性への文集の中で、アメリカの詩が翻訳されて作られたという。
これまで生きてきて、多くの方との別れがあった。その方々がこの詩のように思っていてくれると思うとなぜだか勇気がわいてくるような気がした。

心にゆとりがあれば、ゆっくり歩いていける。新たなエネルギーも生まれる。(「いい人生の生き方」江口克彦PHP新書)
2007/2/25 (Sun) 忙しさの中でも
 テスト発表になってはじめての日曜日。選手にとっては普段まとまった時間が取れないかもしれないが、自分を律して貴重な時間をうまく活用してほしい。高校時代は、いつの世も、部活に勉強に、もっと言えば友達づきあいや恋愛など青春そのものが忙しい時代なのかもしれない。さらに現代では携帯電話にパソコン、ゲーム機と忙しさはスピードを増しているかもしれない。中日新聞の「今週の言葉」に「忙しいということは怠けている証拠です。(安田理深)」があった。忙しいの立心偏を下に持ってくると「忘」という字になる。忙しさにかまけて我を忘れてはならない、戒めの言葉であろう。青年期はアイデンティティ確立の時期(エリクソン)。ハンドボールと勉強と自転車の両輪のように地に足をつけて自分を確立させていこう。
2007/2/24 (Sat) 空間、間あい、思いやり
 テスト週間の土曜日。滝学園では今年度最後の土曜講座が開催された。自由参加形態の講座だが、多くのハンド部員の姿も目にした。向学心に燃える姿は頼もしい。
 1限の講座を終えた後、いそぎ稲沢市総合体育館にむかった。日本リーグの運営協力のためだ。オフィシャル席から間近で見る日本リーグの試合は、迫力がある。大同対大崎のトップ争いは中村スポーツセンターで行われていたようだが、稲沢にも500人を超える観客がつめかけ熱い戦いが繰り広げられていた。得点王争いを繰り広げる北陸電力神田選手のミドルシュートや、新人加入で勢いづくトヨタ自動車の攻撃も見所も多かった。地元ホームチームの豊田合成も移籍の畠中選手や怪我から復帰の大植選手の加入で熱い応援に支えられて観客の満足する試合となった。中でも現役時代から大型ではない自分の目を引いたのは、豊田紡織九州の呉相民(オウサンミン)選手のパスワークであった。172cmとハンド界では決して大柄ではない体格で繰り広げるパステクニックに相手選手はたじたじとなった。空間の使い方、パスを出す間合い(タイミング)、そして味方に取りやすいパス(思いやり)、引き出しの中に何枚カードがあるのかと感心仕切りだった。
 話は変わるが、豊田紡織九州の所在地は佐賀県。佐賀県といえば、今年平成19年夏のインターハイの開催地だ。愛知代表のプラチナチケットはわずかに1枚。4月からこの1枚のチケットをめぐり、約130校の戦いが始まる。熱い戦いをしよう。2年生にとっては、最後の戦いだ。
2007/2/23 (Fri) ○○力、何でもいいから力をつけよう
 第5回定期考査の発表となり、今日から2週間練習休止期間となった。個人の集まりであるハンドボールでは、個人の発想力や判断力、知識や経験、性格や個性もチームの力となる。と考えるならば、合同練習だけが練習ではない。日々鍛錬なのだ。
 支持率低迷する現首相に、前首相が送った言葉、「鈍感力」。周囲に惑わされず、自分の信念を貫けと激励しているのであろう。傷つきやすい敏感さよりもへこたれずたくましい心も繊細な時代だからこそ必要とされる。数年前には、年をとっていくことを「老人力」と表現した。
 勉強は、忍耐力、集中力、あらゆる力がみなぎる素になる。ともに勉強し、「チカラ」をつけよう。
2007/2/22 (Thu) 最後は自分次第
 テスト週間に入る最後の練習。定例の会議も速やかに終わり、30分ほど練習に参加することが出来た。退路を断った「背水の陣」を敷く意味は、“火事場のくそ力”ならぬ、ひらめき力、神がかり的な判断力を期待していることもある。ピンチをチャンスにかえるひらめきはピラミッドの頂点のように、底辺の広い知識や経験に支えられる。わずか90分ほどの日常の練習の中でも自分で場面を想定したり限定すれば、知識や経験も増えるはずだ。絶体絶命のピンチを救うのは、ベンチではなく結局は選手の判断力。
 明日から2週間、練習できないのは非常に寂しいが、判断力を養う練習でもある。集中力もみにつく。勉強に積極的に取り組もう。
2007/2/21 (Wed) 心の弁証法
 今日から中3が一足早くテスト週間に入る。19名もの部員がグランドからいなくなると淋しさを覚えるが、それでも高校生部員は28名。風邪や怪我で3名の欠席者がいたが、オールコートを元気に駆け回る練習ができた。
 各年度ごとのチームを比較することはあまり意味のないことだが、あえて言うなら今年のチームは部員の多さと体格に恵まれている。双方とも両刃の剣で、人数の多さは責任を分散させるがチームに勢いを与えたり、パワフルなプレーは、時に強引なだけのプレーになってしまう(それで点が取れてしまうので)。パワフルなプレーは武器だ。しかし、パワーとは相対的なもので自分よりも強いパワーを持つチームと対戦するとそのプレーが通用しなくなることもある。
 ドイツの哲学者ヘーゲルは、1つの命題(テーゼ)が限界に達したとき、それに正反対の命題(アンチテーゼ)が対立し、そしてその両者の中から新たな命題(ジンテーゼ)が生まれる、と説いた。
 プレーにもあてはまる。1つのプレーが通用しない。→通用するプレーを模索する。→新たなプレーが生まれる。パワーのものは理を。テクニック先攻のものはスピードを。工夫を凝らし、新たなものを生み出していけばよい。
 心も同じ。順風満帆の人生(試合)はありえない。いつかは壁にぶち当たる。そのときこそ、悩み苦しみ(アンチテーゼ)、自分を進化させ新しい自分(ジンテーゼ)を生み出せばよいのだ。
2007/2/20 (Tue) 大きく考え、小さく集中する
 定期考査の発表まで残りあと3日。中学3年生は今日がテスト前最後の練習であったが、「火曜学習会」なるものに参加しているため全員そろわないのがきわめて残念。しかし、それでも40名近くの部員がいることはありがたい。好天に恵まれて活気ある練習ができた。
 週末には異例の学年別の練習を実施した。本来、滝高校ハンドボール部は1つだが、個々の段階に応じた課題を見つけてもらうためだ。2年生は歴戦のなかでたくましく成長したが、まだ、要所でのミスが多い。瞬時の判断はできるのだが、微妙なコントロールがまだついていない。うまさ(緻密さ)を身に付けなければならないであろう。1年生は、とにかく個々のレベルアップ。組織力よりも打開力を身に付けてもらいたい。中3生は経験という点では恵まれているが、高校の仕組みに慣れていない。組織的な攻撃を心がけてもらいたい。
 一般にダイヤモンドはダイヤモンドでしか加工できない地球上で一番固い鉱物だといわれている。しかし、そのダイヤモンドでも加工できるのは、カット職人が熟練の技でダイヤモンドの弱いところ1点を見分ける力があるためだ。受験勉強も「勉強しなければ大学に受からない」と思うだけではだめで、自分は英語が得意だ、数学は苦手だと分析し、1点に集中して克服していけば進路は開かれる。
 尾張優勝、県大会ベスト4入り、壮大に目標を掲げ、1つ1つ集中して課題を克服していくことが、今は大切な時期であろう。あと2日。集中してがんばろう。
2007/2/19 (Mon) 向学心
 今週金曜日から滝学園も定期考査1週間前に突入し、クラブ活動が制限される。中3は、卒業式の都合で明日までだ。練習日数も限られ、昨日のように雨が降ってしまうと練習ができなくなり、貴重な晴れの日であったが、月曜日は定例の休みにしている。
 数年前から花粉症がひどくなり、強風のためか今日は症状がではじめた。グランド練習のため、それとの格闘は避けて通れず、生徒同様こうした時間のある日に医師の診断を受けた。幸い症状は軽いようで注射を打つほどではないということで、薬で対処することになった。妻に聞けば町でも評判の名医で理路整然とした口調に安心感を覚えた。
 良い教師の条件として、5者(学者・医者・役者・易者・芸者)になれという言葉がある。様々な職業からも学ぶべきことは多い。共通していえることは、向学心がなければならないということだ。とある予備校の医進クラスでは、受験を間近に控えているにもかかわらず「日本史」の授業で立ち見が出るほどの盛況な講義があると聞く。講師もそして医師を目指す生徒も実利的な数学や英語と同時に教養を深める教科にも向学心が向いているのであろう。
週1日の休み、向学心に燃えてみては。
2007/2/18 (Sun) 勇気とは
 コートの上では、常に戦いが絶えず繰り返される。ポストとディフェンスの位置取り、シューターとゴールキーパー、などなど。中には、腕やユニホームを審判に見えないようにひっぱたり、「ブロック」と称し体当たりを受けたり、水面下での「戦い」もある。もちろんそのようなプレーを奨励するつもりはさらさらない。むしろ、理想をいえば、そのようなプレーはないに越したことはない。しかし、現実には日常的におこっているのである。
 そこで、ものの考え方だが、そのつど、腹を立て我を忘れたプレーをすれば、相手の思う壺である。限られた空間と時間の中で相手よりも多く点をとったほうが勝ちというスポーツ(サッカーにせよバスケットにせよ)には、そのようなプレーは必ずあるものだと受け入れることだ(くどいようだが決して奨励するのではない)。しかし、そのイライラやもやもやは、やはり自分の最高のプレーで反すことだ。その思いが自分をチームを成長させるであろう。
 ギリシアの哲学者プラトンは、目的を達成するための「意志(気概)」という魂が徳に変わったとき、「勇気」となる、と述べた。勝利という目的のために自分をコントロールし、最高のプレーを引き出す。このとき、魂が勇気となるのではないだろうか。
2007/2/17 (Sat) 壁は越えられるものの前にある
 これからの戦いは、デスマッチとなる。トーナメント戦である以上、一戦必勝で望んでいかなければならない。最後の試合では絶対に後悔だけはしたくない。たとえ、万が一ユニホームを脱ぐ試合となっても、全力を尽くして潔い試合をしたい。2ヶ月先にあるインターハイが近づけばおのずと実感することになろうが、今、そのことを想定してプレーをすることが、のちに、心のゆとりにつながる。大事な試合な前に、いつもどおりのプレーができない精神状態になってしまっては、手かせ足かせを付けられて壁を登れといわれているようなものだ。神は試練を超えられるものに与える。辛いゲームを経験しようとも、果敢に壁に挑まなければならない。まずは手かせ足かせをはずすこと。そして、平常心で壁に挑むこと。強く願えば夢はかなうのだ。
2007/2/16 (Fri) すばらしい!とのお褒めの言葉
 穏やかな天候に戻った。グランドは練習できるまでに回復した。あいにく会議がありグランドをあとにしたが、会議中、呼び出しがかかった。不吉な予感がしたが、中3部員が左肩を痛めたと保健室で聞いた。予感は的中してしまった。幸い怪我はたいしたことはなかったそうだが、それ以上に顧問不在の中、校舎から離れたグランドにもかかわらず迅速に的確にけが人の手当てをした主将の行動にお褒めの言葉をいただいた。うれしい限りだ。偶然にも今日、別の先生には、尾張での滝高ハンドボール部の評判を聞いた(もちろん、良い評判を)。強豪校と呼ばれるようになるには、まだまだ強くならなければならないが、また、それなりの品格も磨き上げていかなければならない。名実ともに強豪校の仲間入りできるよう、心身ともに磨き上げていこう。
2007/2/15 (Thu) そうじ力は自己管理力=チーム管理力
最近「そうじ力」なる本が巷でベストセラーとなっている。風水などを信じているわけではないが、そうじが出来る人は自己を管理できる人だと思う。今日は、天気予報に裏切られ午後から雨が降ってしまったため、これを好機ととらえ、普段出来ない部室のそうじをおこなった。ハンドボールの技術とそうじは無縁かもしれない。しかし、そうじ力=自己管理力と考えれば、個人の集まる集団(チーム)を管理することもチーム管理力となるであろう。
あらゆる力を結集するとは、こういうことも含んでいる。周囲から自然と応援されるような好感度の持てるチームとなろう。
2007/2/14 (Wed) ミーティング
 ウインターカップが終わり、いよいよ残す大会も1大会になった。(県大会に進めば2大会だが。)1日の休日をはさんで今日から活動を再開させた。途中、第5回定期考査、宿題テストの休みは入るが、4月28日まで最後の追い込みをかける。ウインターカップで優勝カップをすべて失い無冠となったが、あせりは全くない。一番大きな大会で最後の最後に結果を残せばよいと考えるからである。
 今日は残念ながら雨に見舞われ練習は出来なかったが、ウインターカップの反省会を兼ねたミーティングを行った。冷静になって自分を振り返ると、また、他人から指摘を受けると今までと違った視野が広がるのではないか。高校生活最後に自分の最大限の力を発揮するには、心・技・体の充実が求められる。後悔のない最後にするために、努力を惜しまず、まい進していこう。
2007/2/13 (Tue) 金の卵
 昨日、滝中入試が行われ、今日はその採点日に当たるため生徒は家庭学習。職員は勤務し、朝から採点業務を行った。高校・中3部員は今日は久しぶりの休息。しかし、中学1・2年生は午後から練習を行うため、将来の滝高校ハンドボール部をしょってたつ金の卵たちを見に行った。15分のミニゲームを数本繰り返す。久しぶりにプレーヤーとして一緒に汗を流した。
 勝負事は真剣勝負のほうが燃える。手を抜けばとたんにゲームはつまらなくなる。ハンディ点や罰ゲームで真剣度を増した。負ければ悔しいし、勝てば何事にも変えがたい喜びを得ることができる。勝っても負けてもハンドボールは自分を成長させてくれる。
 さあ、明日からまた、高校生は出直しだ。総体予選の日が待ち遠しいと思えるほどの充実した時をすごしていこう。
2007/2/12 (Mon) お楽しみは最後にとっておこう
準々決勝
滝15(11-3,4-7)10江南

立ち上がりから昨日と同じような滝ペースで試合は進む。メンバーを入れ替えたあとの失点が少し気がかりだが、得点もとれ危なげないゲームであった。

準決勝
滝8(4-4,4-6)10起工業

伝統の一戦が準決勝であったのは残念だが、独特のムードで試合が始まる。強いあたり、勝たねばならないプレッシャー、場の雰囲気、前半で少し地に足が着かない状態となってしまった。後半は落ち着きを取り戻し、優位に試合を進めたが、残り1分まで同点、滝選手の出血による選手交代、その後の微妙な判定の失点で気落ちしてしまい、4連覇の夢は潰えた。

3位決定戦
滝14(7-4,7-4)8津島東

相手エース不在の中、滝が優位に試合を進める。後半も危なげなく3位をキープした。

 とかく敗因を精神論で片付けてしまいがちだが、あえて、指摘をしておきたい。根性が足りなかったというつもりはない。勝ちたい思いはどのチームにも負けてなかった。しかし、“冷静さ”という点では少し欠いていたように思う。燃え上がる熱い情熱と、緻密に残り時間や相手のプレーの特性を計算する冷静さを併せ持つハートが必要だ。今大会、その重要性が学べただけでも収穫はあった。7mスローでも「おれに打たせてください」というぐらいの責任感のある選手が出てきてもよい。

 敗戦した起工業も決勝では一宮南に1点差で涙を呑んだ。総体はどこが勝ってもおかしくない。ならば、最後の最後に最も価値ある「総体」の優勝カップをいただきに行こう。楽しみは最後にとっておけばよい。その力があると確信した今大会であった。
2007/2/11 (Sun) 原点
 ウインターカップが開幕した。午前中は女子会場(古知野高校)で、女子の初陣のベンチに入った。この場に立つまでに幾多の困難を乗り越えて彼女たち自身が作り上げたチームだ。勝ち負けよりも、1点を取るたびに感動がこみ上げた。これがハンドボールの文字通りの「原点」だろう。
 午後からは男子会場へ。結果は、2試合とも前半で勝負を決める試合展開。普段試合に出られない選手も出場し、結果を残した。苦労してとる1点は心の雄たけびに聞こえた。感傷にひたるつもりはない。しかし、スポーツは感動だ。人々のそして自分の心を打つ。明日は優勝で歓喜に包まれたい。